穏やかな昼下がり。平和でのどかそうな時間が流れていた。しかしそれは私には関係なくて、私にとっては晴れてろうが雨だろうが雪だろうが嵐だろうが雷が鳴ろうが全然関係なかった。そしてこれはあくまで比喩であって、実際は平和でものどかでもなかった。ここ百年の間で戦が絶えたことはなかったし、今だって近国と大戦中だ。平和、なんて見たことが聞いたことも感じたことも生まれてこのかた一度もない。戦争が日常であり平和なんてものは非日常的な象徴だった。考えもできなくて、この先そんなものが私を待ち構えているとも思えなくて、ただ絶望の口がぽっかりと開いていて、私を食べてしまうのではないかと、いつも思っていた。みな、私を騙すように時期に勝ちます時期に平和になりますと口を揃えてそういうけれど、そんなの小指の甘皮も信じられない。いったいどうして、どうやって信じればいいというのだろうか。だれもまだ知らないというのに。分からない、確定されていない不安定な希望。私をこの広い屋敷の狭い一室に押し込めて、外は危険ですから危ないですからと言い込めて閉じ込める人間たちがいうことなんて信じられるはずがない。戦争も平和も箱の中からは無意味だ。


わたしは女中たちがいないことを良いことに、いつものようにここから逃げ出そうと思った。逃げるといっても屋敷の一番奥のこの部屋から逃げるのであって、家自体から逃げるのではない。私はここで生まれ、死ぬことを義務付けられているのだ。その輪廻からはどう足掻いても逃げ出すことなど出来ないことを私は当に知っている。奥の間からこっそりと逃げ出して、見つからないように細心の注意を払い、やっと縁側まで出れる襖まで辿り着いた。そろりと襖を開けると、縁側に一人の男が、見慣れた男が、座っていて刀を扱っているのが見えた。とても大事そうに刀を扱い、きれいに研ぎ、磨き、隅々まで手入れをしていた。たぶん、今戦っている近国との戦いに出るのだろう。庭にある池に住む鯉がぴしゃぴしゃと水しぶきを上げていて、水面はキラキラと反射していた。





「武」
「あぁ、姫。また抜け出されたのですか?後から怒られるのは俺なんですからね」


声をかけると、武は少し厭味を言いながら(でもそんなのを感じさせない感じで)、私のほうを振り向いた。手入れも終わったのか、それか私が来てしまったせいで中断したのか分からないけど、持っていた刀は鞘に収め、立ち上がった。


「やはり、いくのですか?」
「えぇ、姫。それが俺の使命ですから」


武はそういって、にこやかに爽やかに笑って、自分の刀を見た。私は今までに武がいやな顔をしているのを見たことがない。いつもにこやかに爽やかに華やかに穏やかに微笑み、笑い、そして私を笑わせてくれる。どんなにその根底が悲しくても、だ。戦をして、友を、仲間を、失って悲しくないはずなんて、ない。本当はとても悲しいのだろう。ただそれを簸た隠しにして私を、みなを騙す。私は武から目を逸らせずにはいられなかった。





「しかし、次の戦は負け戦だと。そう聞きました」
「誰ですか、そんなこといったのは。負け戦なわけありませんよ、なんせ俺が行くんですから」



武はあははと笑った。私は笑えなかった。たしかにこれまで武が出た戦で負けた戦はない。ただ今回の相手は今までの比ではない人数だと、聞いた。いや、実際には聴こえた。こちらは千であちらは五千の圧倒的不利な戦いだと、向こうはこの戦いで勝負を付けるつもりらしいと。



「私はあなたが死ぬのを見たくないのです」
「姫。姫は戦に行かないから、俺が死ぬところを見ることはない。死体も持ち帰らないように命じときます」
「そういう意味ではありません。私は、」
「分かってますよ。たしかにこのまま戦に出れば、俺はほぼ確定的に死ぬでしょう。でも、ただで死んではやりません。こちら側の勝利を得るまでは、死にません。そしてこの国の隣国諸国たちにこの国に手を出すとどういうことになるかをみせしめて、二度と攻め込むような莫迦な真似はさせないように、姫に危害が加わらないように策を打って死にますから」
「そんなことはどうでもいいのです。私の命など、何時燃え尽きようが一向に構わないのです。ただ、私はあなたが、武が死ぬというのがいやなのです。武、私は武が」
「姫!」






初めて武の声が厳しくなった。私が顔を上げると、今まで見たことの無い表情の武がそこにいた。(とても辛そうな、痛そうな表情)






「その先は言ってはなりません。いや、言っては駄目です」
「武、」
「俺はただの雇われ兵士の一人です。ただ腕が立つから待遇がいいだけで、ただの平民に他ならないのです。そんな男にその言葉を言うというのは、姫の名に、家に傷が付くだけです」
「そんなの、………分かっています」
「なら」
「でも!そしたら私の気持ちは、どうなるのですか……?」




最初から分かっていた。この家は私の自我など望んでなどいないことを。ただ世継ぎとしか必要していないことを。そして女である私にはどこかの貴族との子を孕むしか用が無いことを。最初から全て知っていた。全て知った上でのことだ。私はこの家から出ていけないことを、目の前の者を愛してはいけないことを知っている。嗚呼、地位も名誉も何にも私は望んではいないのに。ただ愛するものに思いを伝えたいだけなのに。どうして私は、どうして、




「どうして私はこの家に生まれてきてしまったのでしょう」
「姫、」
「私は、ここではない別の場所で、『』ではない私で貴方と、『山本武』と出会いたかった」







それはある日の昼下がりのことだった。平和でのどかな時間が流れていた。
しかしそれは私には関係なくて、ただ日常だけが流れていった。














藍に伏せる







そして数日後、長い戦を終える鉦が鳴り響いた。
070408 riyu kousaka